白猫etc.ねこせとら

白猫プロジェクトを10年やってた人のブログ。引退を検討につき雑記ブログに移行予定。

【自分語り注意】深夜にこっそり、理不尽な人生を振り返る。普通って高難易度よね…?

どうも、ホマレです。
今回はちょっとした自分語り……私自身のことについて、書き残しておこうかなと思います。

実はうつ病からの精神疾患・障がいをわずらってる私ですが、メンタルブレイクを起こしてない、比較的元気な状態の私なら冷静に・簡略化して書けそうなのでちょっと吐き出させてくださいな、ということで。


幼少期から大人まで、あんまり余裕がない人生でした。
軽くまとめると、



幼少期:病弱で入院生活中心の日常(不可抗力)
小学生:1年生にして担任からイジメを受けて心を閉ざす(不可抗力)
中学生:イジメのトラウマを引きずりコミュ障が悪目立ちし嫌がらせの対象に(不可抗力)
高校生:環境の変化で改善の兆候が見えるも卒業までに間に合わず(勇気不足)
大学生:家庭内不和の仲裁と祖母の介護(不可抗力)
社会人:家庭内不和と介護の問題が最悪化。仕事も重なって仲裁と対応に限界を迎え精神疾患へ(不可抗力)
〜現在:いったん休職するものの根本解決にならず、早めに復帰したことで逆に精神悪化→退職へ(判断ミス)



とまあ、8割くらいは理不尽なことにまみれてました。
以下、ちょっと詳しいことを吐き出すので、それに付き合ってくれる心優しい神のようなひとは読んでくださると嬉しいです。
吐き出す場所が欲しかっただけなのでブラウザバックでも大丈夫です。


幼少期:
未熟児で産まれたためかなんなのか、とても病弱な虚弱体質です。
幼少期だけで13回入院してるんですが、よく考えると年2回のペースで草が生えます。
それでも明るく誰にでも話しかけるような性格の子だったと聞いてます。ウソだろ自分。


小学生:
1年生にして教師によるイジメのターゲットに。
暴言・暴行とクラス全体への脅迫を含むもので、トラウマになって対人恐怖症まっしぐら。
今なら多少問題化しそうですが、当時の学校というのは治外法権みたいなモンで、そのセンセは同じ地域の小学校への異動だけで許された模様。


小学生〜中学生:
対人恐怖症がモロに影響。根暗でぼっちなお子様に。
そのまま入学した中学は地元の治安悪めな市立中学で、悪ガキたちには格好のエモノでした。
嫌がらせを受けまくってコミュ障をこじらせます。

ちなみに脳の防衛反応が働いたせいか、ここら辺の時期の記憶は半分以上すっ飛んでます。


高校:
いちおう全盛期なのかな?
わりとかしこい進学校を受験し入れたため、治安は改善。
歌との出会い(合唱部)によりコミュ障がほんのりとマシになりました。

ただし、自分から人に話しかけるのはまだまだすごく精神的ハードルが高かったので交友関係は薄かった模様。
今思えばここが最大のチャンス(友人とか恋人とか人脈とか)だったので、もう少し勇気を出せていれば…と後悔してます。
大学受験と合わせてリトライしたい期間No.1。


大学:
受験の結果、某クイズ芸人で金髪赤ジャケの人の後輩にあたる、それなりに良い大学の学生になりました。
最初のオリエンテーションで友人を1人確保してギリぼっちを回避。
しかしその友人もぼっち体質だったので交友関係の拡大ならず。
サークル勧誘期間の波にも乗れなかったのが致命傷に。
リトライしたい期間No.2ですね。

またこの辺から激化する家庭不和の仲裁と祖母の介護がスタートし、勉強と合わせて手一杯に。
再び精神不安定がじわじわ悪化していきます。


新入社員時代:
それなりに名前が通った企業に就職成功。
しかし、研修と業務内容がかすりもしない・実戦での教育係の先輩が半年以上出向してて放置される、などの事故が発生。
社内で表彰されるくらいの仕事ができたのはマジで頑張ったと思います。

なお、家庭不和は過去最高に悪化し、血が飛んたり警察が何度か来るくらいにはヤバかった模様。
無論祖母の介護も続行。
精神の限界へ突き進みます。


社会人:
長年の我慢の糸がプツンと切れて笑えないレベルの死にたがりマンになっていきます。
精神科を受診し、気分障害・不安障害・社会不安障害等の診断を受けて休職期間へ。
頑張って早めに復帰した結果、再度悪化(うつ病あるある)して1年もたずに再度休職。
その後、休職が許される期間が終了したため自己都合扱いで退職…要するにクビに。

障害年金が通ったのでそれをアテにしつつ、ガッツリ減った収入問題のストレス、解決してない家庭不和&介護で治療が一向に進みません。

〜現在:
うつ抜けに失敗し、マシにはなってきたものの未だ改善ならず。
うつ系の病気は人によるところもあり、半年〜1年で治る場合も多いですが10年・20年コースもあるので難しいです。

ただ、良いのか悪いのか祖母が亡くなり、親類は母のみになりました。
言い方は悪いですが、そのおかげで家庭不和と介護の問題は解決し、精神の治癒に光明が見えてきました。

しかし、年齢的な焦りが出てきて、「このまま生涯、女の子と手を繋いだこともないまま孤独死するんやろなぁ」とか「心身共に弱ってて最低限の社会的地位も無くなったから長くは生きれないよなぁ」とか考えるようになってこれはこれでヤバい現状です。

恋活・婚活を考えることもありますが、結局精神的な負担がでかくてダウンするのよね。
なので、結局オタク文化をよりどころになんとか生存しています。


……と、簡略化するつもりが思いのほか長くなりましたね。
これでも一応省いてるところはあるんですけどね。

少しずつ元気な日の割合は増えているので、引き続き生存だけはするようにがんばります笑


それにしても、思春期に心を鎖国したまま過ごしたせいで大人になってから「なるほど、世間一般ではこういう考え(論理より感情が先とか)が多いのか」なんて気づくことが多いです。

「口に出す前に数秒考えてから発言しなさい」なんて言われて育ったぼくはどうやらリアルタイムでのレスポンスが本質的に苦手なようです。
基本タイミングが過ぎてから「自分の考えを伝えるならこの表現で話すべきだった」と気づくことばかりです。

「考えること」自体は得意だし好きなクセに、頭の回転とキレは致命的に悪いんだよなぁ。すばやさがない。


蛇足が過ぎましたが、まあだいたい「普通の人生って難易度クソ高いんやなぁ」みたいなお話でした。
こんな文章を読んでくれた方、もしいらっしゃいましたら本当にありがとうございました。